「行動主義―レム・コールハースドキュメント」

行動主義―レム・コールハースドキュメント

行動主義―レム・コールハースドキュメント

レム・コールハースは建築というフィールドを広げ続けている。
彼はグローバリズムを体現したような人間である。
世界を飛び回り定住せず、すさまじい過速度で仕事をこなす。そして、あらゆる種類の人間をプロジェクトという名の賭けに巻き込み、コネクトしてゆく。

レム・コールハースは批判的であり挑発的である。それは彼や彼らの行動や仕事に見えてくる。コンペ募集案の規定を根底から破り、しかし巧みなプレゼンテーションで審査員の心を掴み結果勝ち取ってしまう。そこになにか新しさ、社会的批判性がクライアントに見え、とてつもなく魅力的に感じてしまうのだ。それは彼がジャーナリストであり、脚本化であったことに大いに関係する。


本著は建築家(もはや建築という言葉の垣根はどこまでも広いが)レム・コールハースを著者:瀧口範子が追っかけ取材し、レム、OMA、AMOやその周囲の人間、そこでおこる出来事などをドキュメント化したものである。
また、レムと親交の深い人物、ともに走るブレーン達のインタビュー、そしてレム・コールハース本人のインタビューが収まっている。




著者とレム・コールハースが2002年の2月「世界経済フォーラム」にて久方ぶりに出会ったときのエピソードが記されている。著者はここでのレムのスピーチを聞き、9.11以降の世界の中でレムの求めるものを確かめたかった。そして、ドキュメントをすることにした。


「建築家という職業は今、瀕死の危機に直面している」
「ひとつはそもそもクライアントという他人頼りの職業であるということ、二つ目は都市、そして人間のプログラムのすべてに「ショッピング」、つまり営業活動やコマーシャル化された行為が侵入し、今や教会、美術館、病院に至るあらゆる空間に商業的要素が蔓延しているために、これまでただで享受したはずの都市に我々が金を払わなくてはならなくなたという変化、三つ目は激しく上下する経済情勢のあおりを受けて安定性を失ったビジネスの影響がもろに降りかかってくること。短く見積もっても4年はかかる建築のプロジェクトは、そうした経済の変化にまともにさらされる」

「リスクは建築にとって重要なエレメントであり、建築とはリスクをも盛り込んだプログラムであって、景気変動などの外的な力を避けることはできない」
「そう定義することによって、建築はあらかじめ複雑な総体として出発すべきである」

「思考するという「アーキテクチャー(構築)」の力を、建築家は他のあらゆるメディアに応用できるはずだ。」






著者がレムのドキュメントをつくると決定し、そこから追っかけ取材を続けようとするが、レムの行動の範囲やスケジュールの未定ぶり(レムのスケジュールは1時間ごとに変わる!)、そこから焙りだされる彼のバイタリティは常軌を逸していた。
ここで、気になったエピソードやフレーズをこの本の文脈と主観を交えて以下に綴る



・レムのクールさ
OMAのオフィスのあるロッテルダムという都市は何の変哲もない「ジェネリック」な風景であり、その中で大胆で過度な図面や、写真や、模型といったオブジェたちが佇んでいる。そういったところが僕はレムのビジュアルブックなどに感じる「クールさ」の原型があるのではないかと思う。レム本人がインタビューで言っていたことだが、アルテ・ポーべラ(貧しい芸術)が最も深くレムをかたどっている。そのために用意されたのでないオブジェ、日常的でないものの美しさ、ランダムさなどにレムは審美を感じるのである。
「美しさは目的として追い求めるものではなく、副産物として生まれる」


・AOMという組織
レムはアトム(物質)をつくるという範疇を超えた批評的スタンスやアイデアを確立させ、インキュベートし続けるために2000年AMOというリサーチ組織をつくりだした。AMOはリサーチに独自の方法論を持たない。ひとつひとつの対象についてゼロから始める。「AMOもツールは作るけれど、決してそれを自動機械化しない」
AOMの活動の一環として雑誌の出版というものがあったが、後に頓挫、『パラサイト作戦』という名で世に出回っている雑誌に自分たちのアイデアや提案や意思を載せて伝播させる方法を考え、雑誌「ワイアード」の特別号をゲスト編集長レムとして、世に出すアクションを打ち出した。しかし、結論付けないAMOの挑戦的なリサーチスタイルは雑誌という媒体に合わず、ワイアード誌の編集者たちによって激しくカット&ペーストが行われることとなった。

クリス・アンダーソン「彼らは、現象を数量的なデータに変えれば、そこから何か面白い洞察が浮かび上がってくるのではないかと考えている」「確かに彼らは、考えもしなかったところからアイデアを生み出し、我々がやっていることについてラディカルに異なった見方をする。ただ、彼らの考えに入っていないのはそれが売れるかどうかなんです」


・ブックレット
OMAではブックレットがひとつのプロジェクトの内に何度もつくられる。プロジェクトが進むにつれてどんどんバージョンが改められ新しいブックレットがつくられる。
著者の考えるブックレットの利点
ひとつは、他人に分かりやすく伝えること、ふたつめは、「ケリ」をつけられること、みっつめはまとめること


・ビジュアル思考の発見
OMAにて学生たちが本をつくっている。そこでモックアップをレムとのミーティングにさきがけ制作していたのだが、その数にして20。様々な試作がそれぞれ、何十ページにもわたっている。手に取ってもらえるのは数十秒。
「たとえ数十秒でも実際に形のあるモックアップをつくることが彼らのやり方だ」
「ビジュアル的に思考する人々は全く違ったアプローチをとる」


レム・コールハースの人間像、建築観
これは常に刷新され続ける。なぜなら、世界はものすごい勢いで変貌し続け、レム・コールハースという人間はそこを常ににらみ続けながら考え、行動するためである。
コールハースにとってチームワークに意味があるのは、そこにクラッシュ(衝突)が起こるからである。彼はそのクラッシュ自体をつぶさに脳裏に焼き付けているのであろう。ちょうど彼にとって興味の尽きない対象であるグローバリズムが、「相互浸食」を意味するのと同じように」
「掟破りたちはそこに普通の人間には見えないもっと広いフレームワークを見出しているのであり、それを相手に説明し説得するのにかかる追加の作業をいとわないボルテージの高さを備えていなければならない」
「建築とは形態ではなく、その中で起こること自体」
「計画するのではなく、人間の活動を並べること」
「建築はスローなものだが、都市は変化に対応する」
「パワー(権力)という社会の仕組みには、善かれあしかれ実に面白い側面があると思う…(中略)…スタッフを率いて設計事務所を経営するというのはボスにはかなわないと思わせる何らかの優位性がないと成り立たないものではないだろうか。コールハースのように圧倒的に知的に優っている、」
「彼を形容すうるには、英語で言うところの「ポリ」という接頭語がぴったりだ…(中略)…日本語では「多」だ」

セシル・バルモンド「レムの非センチメンタルな性格は大変重要だと思います。彼には何に対するノスタルジアもない。そこがいい。」
サンフォード・クインター「どんな状況においても、、レムは求められているよりもいつも少しだけはみ出すんです」「彼らは、歴史を動かすのはソリューションよりもアイデアであると知っているのです」
ハンス=ウルリッヒ・オブリスト「つまり、OMAという事務所は永遠の学習機械なのです」



・レムとOMAにとっての転換点
レム・コールハースはそのキャリアの中でいくつもの転換点を通過してきたと著者は言う。
「ひとつめは、ドイツのカールスルーエに計画されたメディアセンターZKM」
「ふたつめの転機は、映画会社大手ユニバーサル・スタジオのプロジェクト」
「そして3つ目の転換点がCCTVである」


ダイヤグラム
レムの建築はダイヤグラムが意味を持ち、そのまま建築化したようなものが実際に建ってしまう。そこに空間や空気感を付け加えるのは当然として、レムは自身の建築を語る際ダイヤグラムを効果的に使用するのである。
コールハースが行っているのは、ダイヤグラムという分かりやすい共通言語を介入させることによっていかにも個人臭のする表現を割愛することである。もちろん、ダイヤグラムにはすでに空間的解釈が盛り込まれているものの、それは完全に個人的な表現にはなりきれずにいる。それを利用する。だが本当のところはこうかもしれない。万人の共通言語的なダイヤグラムの見かけを借りて、実のところはひどく個人的で恣意的なプログラムの解釈と、それを力任せに建物の形にしたものを相手に納得させてしまうのだ。いずれにしてもコールハースの建築の中では、一方に恣意性や審美性、他方に客観性や分析というものがあって、この二つが建前としてはお互いを避けながらダンスを踊りつつ、実は裏で手を組んでいたりする。このダンスは実に複雑なのである」

伊東豊雄はレムやOMAの各プロジェクトの一貫したコンセプトはあるか?との問いに次のように答える。
「かたちとしての一貫性はないけれども、かたちの生み出され方に対しては共通したものがある。それは99%の建築家がたどっている「かたちを生み出すプロセス」を割愛するということです…(中略)…レムの場合は、その普通の建築的土俵を踏まない。プログラムのダイヤグラムが突然かたちに変わるというようなこともあってこんなグラフィックで描いているものをいきなりかたちに移してしまっていいのか、というようなことをやってしまうわけです。」






コールハースとともに走る11人では、実にユニークな人々11人にインタビューしている。サンフォード・クインターの建築、建築評論のあり方や、マイケル・ロックの2×4のスタンスや、情報収集としての本という媒体についての話など抜群に面白いが、今回はレムに直接関することのみを書くこととしたので、各人の情報はまた別の機会に。
興味深かったテキストは上記に組み込まれている。
クリス・アンダーソン/マイク・レナード/セシル・バルモンド/ポール・ナカザワ/サンフォード・クインター/ハンス=ウルリッヒ・オブリスト/マイケル・ロック/ジェフリー・イナバ/ヴィンセント・デ・ライク/ペトラ・ブレーゼ/伊東豊雄





この本の刊行当時(2004年)、レム・コールハースは北京のCCTVのコンペに勝利し、世界で最もエネルギーに満ち溢れている国家において社会的な批判を発信し得るチャンスを得た。そこから、6年が経過するが、その間にも世界はまだ猛スピードで動き続け、世界同時不況がまきおこり、バラク・フセイン・オバマ・ジュニアが初のアフリカ系としてアメリカの大統領となった。そのようなこともあり、当時のレムが感じていたよりもそのCCTVの計画の批判性は世界に伝播しなかったのではないだろうか。
それでも、レム・コールハースはその頭を働かせ続け、計画を練り、多くの人間を自分のフィールドに引き寄せ、建築のフィールドの境界線は広げ続け、発信し続ける。



建築とは何であるか、
といった問いかけがレムを見ていると、不定形で広大である。それも広がり続けている。それは可能性の拡張を意味する。
レムが拓いた後の世界を僕たちは生きる。そこでなにをするのか、どういった社会にしてゆきたいのか。
この時代に、それを発信し、行動し続けることが重要なのである。