今考えていること
国内史上最悪の自然災害が起きて1週間が経過しました。
なにかに後ろ髪を引かれている感覚、あるいは、腹の中にモヤモヤとした、わかばとかを吸ったときのあの胸くそ悪い感じが残っているのは一体何なのだろうとずっと考えていましたが、それはきっと考えていることをまとめて、公の場で吐き出せていないことに原因があるという考えに至りました。
このエントリは僕自身のモヤモヤを解決するために記すものであることを予めご了承ください。
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地震が発生したとき僕は一人自宅で呆けており、突然の経験したことのない揺れに動揺し、動揺しすぎて逆に冷静になり。
地震の影響で住まい一帯が停電したため、モバイルからあらゆるものが失われたことを知りました。
1週間経ったいま、死者は阪神大震災のときのそれを超え、原発の異常は予断を許さぬ状況であることに変わりはありません。
人々は寒さにふるえ、食料もなく飢え、水や電気といったライフラインも不足し、避難者の受け入れ先はいっぱいになっている模様です。
家は流され、藻くずとなり、所々では火災の被害で消し炭となりましたし、福島の原子力発電所は、もうこれ以上どこがぶっ壊れるんだ?というようななりをしています。
パニック映画のような惨たらしいビジュアルが、様々なメディアから目に飛び込んで、それがフィクションではなくリアルであるという感覚が腹の奥から到来し、発狂しそうになりながらそれでも今日まで生きてます。
今回の災害で破壊され失われたものは、23年生きた僕の想像力では到底追いつかないほど多量で、多様で、高速です。
命も、物も、あらゆるものが失われました。
けれど、、災害の影響の薄いこの地でこんなことを言うのは不謹慎と言われるかもしれませんが、、
日本は間違いなく以前よりよくなる、と僕はそう思うのです。先人達の言うように。
この災害であらゆるものが流されて、それこそ既存イデオロギーやスペクタクルも流されました。そこに新たに生まれたのは、、それは、希望であり、全く新しいスペクタクルであり、個人の新しい意思です。生きたい、という個人に、生きろ、と言葉を投げかけ、手を差し伸ばす個人がいままでこれほど多くいたでしょうか?
僕はこの災害がおきるその瞬間まで、日本は進みすぎた民主主義のモデル、であると捉えていました。自分の真横で人が倒れても個人の都合と関係なければスルーし、内閣支持率がありえない数字を記録し、半年でひとりのペースでリーダーが変わっていっても、『まあそんなもんだろ』とやりすごす不感症。その、朽ちてゆくのを待つしかなかったこの社会がこの地震で崩れ去り、新しい社会が生まれようとしています。
少しでも希望を灯せるように、僕の周りの人間、そして恐らく国民の中のほとんどの人間が、考え、行動をしている。そう感じるのです。社会をつくりだすのは人間です。ひとつひとつの力が小さかろうと、希望を灯そうとアクションする人々が集まれば、本当の希望になるでしょう。
僕、そして僕の周囲の人々は(主に学生ですが、学生がゆえに)もがいています。例えば音楽家なら音楽やればいいし、事業化なら事業をすればいいし、美容師さんは髪を切って奇麗にしてくれればいいでしょう。しかし僕は学生で、学生ができることというと勉強、なのですが、それ以外でできることを考えるのもまた学生の本文であります。そして、非常に微力ながら、色々と行動しています。
以下はアナウンスです。上記まででほとんど述べたかったことは終わっているのですが、お付き合いいただければ何よりです。