中村拓志氏インタビューに関連したAMOに対する個人的見解

前回のブログからまた日にちをまたいでしまった。


前回から本日までのトピックを列挙すると、散髪、新橋新年会、けんすけ卒制における僕のロールが確定、代官山ATAK、英語テスト、中村拓志氏へのインタビューの準備、VABEL CONFERENCEの準備、彼女、森谷さんに企画相談、本を2冊読了、他。

スケジューリング命。


最近朝型にシフトできて安定してきている。
同時にコーヒー飲む量が倍くらいに増えている。



cicroiroによる中村拓志氏へのインタビュー放送が3日後に迫っている。
緊張が日に日に体を蝕む。この調子だと当日放送中に吐くんじゃないか。。
安心したいのもあって下記の文を記します。


インタビュー放送をご覧頂く方はぜひレム主催のAMO(http://www.oma.eu/index.php?option=com_content&view=article&id=3&Itemid=1)について調べておくことをおすすめしています。

AMOに関する僕個人の見解は、企業形態を書き出すと、都市、環境、経済、商業、テクノロジー…etc.のリサーチ、コンサルタント、コンテンツ提案、視覚的メディアによる最終アウトプットに及び、問題提起型/一括請け負い型の広告代理店=シンクタンク
簡潔に言うと、
『AMOはフィジカル以外の部分を受け持つ、ヴァーチャル専門のシンクタンクである。』


以前このブログで書いたかもしれないけれど、コールハースはOMA/AMOというフィジカル/ヴァーチャルに通ずる機関を手に入れて、場合に応じて両方をクリック可能な状態にした。ふたつの選択肢は一人の建築家が世界に向けて発信するのに非常に機能的に働いている。これはARTにも言えることだけれど、可視領域(表層)と非可視領域(表象)をコントロール可能な人間は強力。理論やイメージだけでは短命なコンテンツが、物体を媒介することで生命が長期に維持されることはザラである。
コルビュジエはテキストやイメージ写真用いた(物体としての建築を表象レベルに砕いた)コントロールが抜群に上手く、非常に広範囲に影響を与えた。更に、没後も実際の建築が残っていることで空間体験を通した精神が現在に至るまで様々な議論を呼びながら生き永らえている。彼が生きていた時代はまず物体ありき、表象となるのはメディアコントロール、みたいな非可逆なベクトルが主流であったのではないか。テキストによる時間のロスは思想のくさびを打ち込むのに長い時間を要する。
一瞬で世界と同期可能な現代において、また、スペクタクルを求める風習がいよいよ立返れないほど浸透した現代において、そのベクトルは可逆になっている。非可視領域をイメージ化してダイレクトに広告できる高性能な機関を保持し、更にそのエッセンスを建築という究極の物体として結晶化できている建築家はおそらくコールハースのみなのではないか(他に誰かいたら紹介してください)。ヴァーチャルがリアルに染みだすことが可能な時代である。コールハースはそのベクトルを結ぶ両端の機関を設立し、『資本主義社会をサーフィンしている』。


ざらっと記したけれど、これがOMA/AMOに関する僕の見解である。中村拓志氏の未来戦略にAMOをロールモデルとした『広告代理店機能』を保持したチームの編成が加わっていることはリサーチから読み取れたので、その辺りのことをトピックのひとつとして伺いたいと思っている。


少しすっきりした。緊張ほぐしにおつきあいいただきありがとうございました。


明日はうちのボスけんすけの卒制ヘルプに千葉は運河まで行って参ります。




cicroiro interview #4 中村拓志 まであと3
http://www.ustream.tv/channel/cicroiro-interview

VABEL CONFERENCE TOKYO 2011 まであと5
http://vabel.org/conference/conference2011/