建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション

国立近代美術館の企画展に行ってきた。


7組の建築家が、7通りのインスタレーションを見せる。


建築はどこにあるのか?の命題は「建築っぽくてそうでないもの」あるいは、「建築っぽくないんだけどまぎれもなく建築」を現出させ、建築の領域の不安定さ/曖昧さを美術館というスケールで視覚化する。


建築家(EXHIBITOR)/インスタレーション

1 アトリエ・ワン/まちあわせ
2 中村竜治/とうもろこし畑
3 中山英之/草原の大きな扉
4 鈴木了二/物質思考51 DUBHOUSE
5 内藤廣/赤縞
6 菊池宏/ある部屋の一日
7 伊東豊雄/うちのうちのうち


1

遠くから見ると竹による動物の造形物で、近くによると「待ち合わせ場所」にうってつけの竹のベンチと屋根。

近代美術館のエントランスにひらかれたその空間は、天気も良く非常に気持ちがよい。

なんのストレスも感じることなく、だらだらと、まちあわせ場所に使わせていただいた。



2

細い線が純粋幾何学の連続となり構造を形成し、それらが集まって塊となって佇んでいる。気体の密実に近い印象。透明感とグラデーションによるみえがかりの変容。それ以上に衝撃的なのはこれほどまでにミクロなもので、それもシンプルな作業で、建築を成り立たせていること。ヴォイドとマッスが混在するその構造体が建築空間を変え得るであろうことは容易に想像できる。圧巻。


3

草原に大きな扉が開き、壁のない外部が意識内で建築化する装置の1:3模型

スケール変化による、空間意識への影響は芸大卒の方は好むのでしょうか?

ぼくはこれを美術館でやってしまう意味がいまいちわからず。圧倒的に本当の草原で本当のスケールで見てみたい。


4

DUBHOUSEと名付けられた巨大なスケールの模型、あるいは建築の中にある建築

見慣れたスケールの模型が横に展示してあるが、平面における短辺長辺比と高さの比がおかしい(長辺方向に引き伸ばされ、短辺と高さは圧縮されている)

中にある空間に座標を示すような椅子とテーブル。これらの縮尺もおかしい。微妙に小さい。

それらは床ガラスに映りこみ、さらに感覚を狂わす。


5

測量に用いられるレーザー。レーザーがコンクリート上に線を描いているのを見た際「物質の不均質さと抽象的なラインの対比」をはっきりと見たという内藤廣によるインスタレーション。暗闇の中で、正確にものを測るレーザーをショール(貸し出してくれる)で歪ませながら戯れる。そこに空間が立ち現れる。そんな精密機械の光を浴びながら、なにかプリミティブな気分が昇ってきた。


6

ぐるぐるとまわる、光源。回転の中心で住宅の風景の断片のようなものがその光を浴び、影をつくる。

奥へと進むと巨大なスクリーンに映りこむ、先ほどの風景。光を浴び、真っ暗になり、時間をかたどる。

現実よりも加速した時間を眺めながら、心がどこまでも落ち着き、現実の時間を忘れていた。


7

仮設的に多面体で構成された空間と、その中にちりばめられた幾何学の領域。連続/拡張可能な空間であり、「楽しげ」である。

伊東氏はその幾何学に20世紀のグリッドに代わる21世紀の建築システムを見る。

雑誌で幾度も閲覧した模型が美術館の中に現れた印象、そして、やはり模型の域を出ていないと感じた。







全体を通しての印象は、やはり「建築家」のインスタレーションであったなということ。非常に楽しめた。


個人的には、中村竜治の『とうもろこし畑』と菊池宏の『ある部屋の一日』が非常に印象深かった。


ただ、ほとんど時間がない中で観賞したため、まだよく整理がついていない。写真もほとんど撮っていないし(撮影はOK)


会期が8月8日までなので、機会があればぜひもう一度行ってみようと思う。